ズルとは何か

広辞苑第四版によれば「ずる」とは「横着なこと。狡猾なこと。またはその人」とあり、「ずるい」には「しなければならないことを巧みに怠ける。狡猾である。わるがしこい。」とあります。一般的に「ずる」とは狡猾でわるがしこい行為または人を指す言葉であります。
ところが一般的な「ずる」という言葉には主観的・感情的な要素が多分に含まれております。例えば「FAで補強ばかりする巨人はずるい」という言葉には、当然客観的な巨人は狡猾だ、わるがしこいという意味も含まれていますが、主観的かつ感情的な「巨人は嫌いだ」という要素も含まれているわけです。
人間の主観・感情というものは歴史を動かす大きな要素に成り得るわけですからこれを軽視するわけにはまいりません。
しかしながら、理論を体系化する学問的作業においては、主観・感情を対象とすると独善に陥りやすい危険がつきまとうものであります。そこでわたくしは「ずる」という言葉をカタカナ表記して「ズル」という新語を造りました。わたくしのいう「ズル」とは主観的・感情的な部分を一切排除して客観的な評価のみを表す用語であります。
ズルとは、特段の努力・工夫もなく、実力に関係なく得をしやすい、あるいは勝ちやすい行為であります。ズルとは、行為の客観的側面に着目した用語であり、ズルをする本人がズルな意図を有しているや否やは問わないものです。例えば、ズル熊党が自らのズルな行為をズルであると認識するかしないかを問題にしても、ナンセンスであることを想定されるとよいでしょう。むしろ、ズルでないと思いつつ、ズルな行為を行っていることが罪深いといえます。

わがズル理論について、ひらがなの「ずる」との区別がつかずに「感情論だ」という議論が投げつけられますが、そうした議論こそが感情論なのであり、わたくしの理論についての理解不足から来る誤解なのであります。
わたくしのズル理論はあくまでも客観的分析を行うものであります。わたくしは本来主観的な用語に過ぎなかった「ずる」を止揚して「ズル」の客観的定義に成功したのであります。ズルの客観的定義こそが、わがズル理論を科学にまで高めたのであります。


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