将棋の諸要素        実力    研究    ズル    偶然


実力

@実力とは、大局観、読みの力、直感、感覚など、盤上における技術を総称したものを言います。また、A実力とは、将棋の諸要素から、研究、ズル、偶然を控除したものをいいます。
@の定義は常識的ですが、抽象的で具体性を欠いているともいえます。とはいえ、わたくしといたしましては、この定義を軽視するものではございません。まずは、「実力」のイメージを持っていただくことが、議論の発展には有効であります。とはいえ、Aの定義についても、これを明確化するためには、研究、ズル、偶然という三つの定義を明確にしなければなりません。そうした後に、改めて@の定義を見直すならば、わたくしたちはより内容豊かなものとして、実力の定義を手に入れることができましょう。

もう一つ重要なのは、実力は、将棋最古の要素であったという点であります。少なくとも天野宗歩の時代は、ほぼ完全な実力時代であったといえます。すなわち実力第一位=将棋日本一(名人は世襲制なので名人という意味ではありません)と見て間違いないでしょう。ところが、時代が下るにつれて将棋の強さを測る要素として実力以外の要素の占める比重が高まってきたのです。


研究

研究とは、盤外、すなわち、事前または事後において、将棋に関して考察することを言います。研究は実力の次に発生しました。本来、研究は実力を補完する役割でありましたが、近年では森内ー渡辺の竜王戦のように研究だけで勝敗がついてしまう現象も数多く見られます。また若手棋士を中心に共同研究も年々盛んになっており、将棋の実力そのものよりも、情報をいかにうまく整理・活用するかが、強さの基準になりつつあります。

さて、この研究には@実力的研究とAズル的研究があります。おおざっぱに申しますと棒銀などの居飛車急戦の研究は@、ズル熊の研究はAといってさしつかえないでしょう。すでに述べたとおり、研究は、実力を補うために行われるものですが、盤外において行われるという意味において、これがズルに転化する可能性が当初から含まれていました。研究は、まず実力的研究が発生しましたが、次第にズル的研究へと変容していきます。

具体的に述べますと、大山時代までの研究は、概ね実力的研究でしたが、中原時代にはズル熊の研究などズル的研究が次第に存在感を増し、谷川・羽生時代になりますと、ついにズル的研究が主役に躍り出たのであります。最近では8五飛戦法に象徴されるように、ズル熊以外の分野にもズル熊的感覚を取り入れた研究が盛んになっています。ここに現代将棋の根本的かつ重大な問題があるのです。


ズル

ズルの定義は第一部で述べましたが、ここでもう一度繰り返しますと、
「特段の工夫もなく、実力に関係なく勝ちやすい形・戦法・囲いをいう」

となります。

ズルは研究から発生しました。研究の項で述べたとおり、研究とは盤外で行われることから、一定の時間が経過すると、人間の楽をしたいという煩悩からズルな意図が生じます。ズルな意図は、ズルな戦法・戦術・囲いを生み出します。そして、ついにズル熊という将棋の最高ズルを生み出したのであります。

ズルがせいぜい実力差を若干、埋め合わせる程度であった時代まではまだよかったのです。ところが、ズルのウェートが増すにつれて、ついにズルが実力を凌駕するに至ったのであります。
将棋はここに実力に関係なくズルを用いたほうが勝ちやすいゲームに変質してしまったのです。
ここに将棋の悲劇があるのです。


偶然

皆さんもご経験のことと思いますが、ズル的要素の多い将棋は、偶然攻めがつながったり、偶然切れたり、偶然玉が詰んだりといったことが頻発します。直感的には、偶然はズルから発生しているように考えがちであります。
しかし実際の将棋においては好ましい偶然はよりズルの量が多いほうに発生します。分かりやすい例では、穴熊対船囲いで船囲いが普通に考えて安全であるのにも関わらず、偶然詰んだり、どう考えても受けのない穴熊がただ駒を埋めた、それだけのことで偶然千日手に逃げられたりする例です。
これは偶然はズルそのものである考えると容易に理解できます。

わたしたちは偶然を通してズルの存在を認識することができます。落ちていた偶然のズル手を拾ったズルな人は「ズルを使ってよかった。またズルをしよう」と考えますし、ズルをされた正直な人は「偶然詰んでしまったから仕方ない。次はズルをされないよう警戒しよう」と考えます。かような意味において偶然はズルが具現化したものであり、「偶然はズルの現象形態である」と定義することができます。


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