戦国将棋


其の壱   其の弐   其の参   其の四   其の五   其の六

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戦国将棋 其の壱

龍

戦国時代。それは戦乱の時代である。戦国武将たちは、天下を目指し、戦いに明け暮れた。しかしその一方で、「無益な殺生は避けたいものじゃのう」というのが戦国武将の多くの願いでもあった。
そのうち、「将棋で決着をつけようぞ」と言い出す者もあり、実際、将棋で決着をつけた例もある。しかし、多くは、相手の油断を誘い、戦を有利に導こうとする陰謀によってゆがめられていた。

第5回川中島の戦い。この戦いが将棋によって争われたということは、あまり知られていない。第4回の川中島の戦いは、武田信玄の啄木鳥戦法を見破った上杉謙信が、武田信玄をあと一歩まで追い詰めたものの、ズルの利が残っていた武田信玄が激しく反撃に出て、双方に多くの死傷者が出た。ゆえに、第5回川中島の戦いでは、双方に戦いを避けんとする動きが現れた。
虎
信玄は「此度は将棋で決着をつけましょうぞ。」
と謙信に書状を送った。

謙信はもとより歓迎である。謙信の棒銀戦法は、まさに天下無敵であった。
「毘沙門天の使いたるこのわしの正義の将棋、いかなるものか、信玄に思い知らせてやろうぞ。ガッハハハッ。」

信玄も自信があった。
「わしは四間飛車じゃが、謙信はどうせ棒銀じゃろうて。」
信玄はほくそえんだ。


戦国将棋 其の弐
   信玄

「御館様、良き作戦がござりまする。」
真田幸隆は言った。
「いかなる作戦か?」
信玄は、さすがは幸隆といわんばかりである。
「されば実践してご覧に入れまする。」
「ならば、このわしの棒銀を受けてみるか?」
信玄の得意戦法は振り飛車、なかでも四間飛車であったが、対振り飛車も得意であった。

真田幸隆は、武田家の重臣であったが、囲碁・将棋にも通じた教養人でもあった。信玄とはしばしば盤を挟んでいた。

ズルシステム

信玄は自信満々▲3五歩と仕掛けた。
「さてどう受けるかな?」信玄は幸隆の顔をのぞきこんだ。
「されば」
つぶやきながら、幸隆は△4二金と寄り、にやりと笑った。
「ほほう、それは新手のようじゃが、玉の守りは金銀三枚と申す。金が守りから離れるのはどうかのう。」
信玄はけげんそうに言った。

この後、信玄はなんとか銀をさばこうとするが、幸隆陣の4二の金が良く効いて、いっこうにうまく行かない。

「なるほどこれがそちの言う棒銀対策か。」
「さようにござりまする。」
「しかし、ちとズルいのではないかな。」
「おそれながら、将棋にズルいもセコいもないと心得まする。それがしはこの戦法をズルシステムと呼んでおりまする。この形に組みさえすれば、いかに謙信といえども、どうにもなりますまい。」

幸隆は、懸命にこの作戦の採用を勧めた。信玄の方はあまり気がすすまない。戦ではズルを重ねてきた信玄であったが、この上将棋にまでズルをすることには気が引けたのである。しかし、度重なる幸隆の説得により、「よし、これでいくか。」と決断したのであった。


かくして信玄の作戦は決した。


戦国将棋 其の参
謙信

越後春日山城。上杉謙信は、酒を飲みながら盤を挟んでいた。相手は謙信の側近の直江景綱である。まずはじめに、この直江景綱について、ご紹介いたそう。

謙信はズルを一切しない武将であった。戦にあたっては、「正義」とか「正々堂々」などといったことにこだわり、自分の動きを自分で制約してしまうところがあった。直江はそのことでいつも頭を悩ませていた。直江は常々、「いかに戦場においては大天才の御館様とはいえ、ズルを一切使わないのではこの乱世を生き抜くことはできぬ。われら家臣がズルで下準備をして、御館様をお守りせねばならぬ。」と言っていた。

この直江のズルあっての謙信であったことは意外に知られていない。直江は、謙信に気づかれないようにズルをすると共に、時には「これはズルではありませぬ。」と謙信を説得しなければならないつらい立場にあった。

謙信の酒豪ぶりは有名であるが、いくら酒を飲んでも指し手には全く狂いを見せない。いや、むしろますます冴え渡っている。

▲1五銀まで▲2四歩、△同角、▲1五銀。謙信怒涛の攻めが始まった。「御館様、これはタダではございませぬか?」
「そうか、これはうっかりしたな。」
謙信はにやりと笑った。
しかし、数手後、直江にミスが出て、謙信の必勝形となる。

「申し上げます。信玄が何やらズルな戦法を考えている由にございまする。」
「いかなるズルか?」
直江は眉間にしわを寄せながら尋ねた。

「しかとはわかりませぬが、『金を寄る』などという声が聞こえましてござりまする。」
「しかと確認してまいれ!」
その瞬間謙信は口を開いた。
「その必要にあらず。信玄いかなる手を打ってこようとも、わが正義の道に変わりはない。直江、余計なことをしたな。」


戦国将棋 其の四謙信

それから数日後のことである。直江は、謙信と作戦の打ち合わせをしている。
「御館様、作戦のことでございますが・・・。」
直江は恐る恐る話を切り出した。
「申してみよ。」
謙信はいつになく上機嫌である。
「それがしは、、すぐに▲3七銀〜▲2六銀と出ないほうがよいかと思いまするが・・・。」
「なにゆえじゃ?わしの銀は正義の出陣をしておるのじゃ。正々堂々、銀を出るのがなぜ悪いのかな?」▲4六歩まで
「信玄は何をたくらんでおるか分かりませぬ。ここはいったん▲4六歩と突いて様子を見てから銀を出るほうがよろしゅうございます。」
「わしはそのような姑息な手段は嫌いじゃ。」
「姑息ではございませぬ。この手は、相手によって戦法を決め打ちするズルとは全く違いまする。相手の出方を見ることは、戦いの根本と心得まする。しかも、御館様は棒銀でございまする。正義の戦術にも策なくば、この世に美しき流れ、つくりだすことできませぬ・・・。」


あの手この手を使って直江は懸命に説得した。その甲斐あって、謙信が納得した表情でいった。
「そうか。確かにそちの言うことにも一理あるのう。ならばそのようにいたそう。わしが、先の川中島の大決戦において大勝利を収めたるは、ひとえに信玄のズルを警戒し、これを見破ったからこそじゃ。そちの言うとおり、いったん▲4六歩と様子を見ると致すか。」

これで謙信の作戦も決した。いよいよ次回は大決戦のお話を致します。


戦国将棋 其の五
信玄の名言謙信の名言
第5回川中島の戦い。
通説によると、上杉・武田両軍は
塩崎にて対陣したが、67日間に及ぶにらみ合いの末、戦わずして引き上げたとされる。
しかし最近、新説が出現している。互いの力量を知り尽くした両雄は、実際の戦いを避け、将棋の盤上で戦っていたというのだ。まさに歴史のロマンである。

将棋を指すといっても、さすがに両雄が盤を挟んだわけではない。そのようなことをすれば、いつ不測の事態が起こるか知れないからである。戦国将棋は、常に軍事力を背景にした勝負であった。
対局方法はというと、指しては双方の使者が互いに行き来し、指し手を伝えるという面倒なものである。もちろん、双方の陣営には将棋盤があり、これに指し手が表現されることになる。しかも持ち時間は無制限であったため、67日間という長期間のにらみあいとなってしまったのだ。

振り駒の結果、上杉謙信の先手となった。

序盤戦。▲5七銀左、△4三銀、▲6八金直、△5四歩。謙信は作戦通り、なかなか▲3七銀と形を決めようとしない。
「幸隆、謙信は本当に棒銀であろうの。」
「はっ。まず間違いないかと。」
信玄は、本当に狙いのズルシステムの変化に持ち込めるのか、一抹の不安を抱えていた。
そして、謙信▲4六歩。これが直江流である。
「幸隆、これはもしや4五歩早仕掛けで来るのではあるまいな。」
「では、念のため△6四歩と様子を見るのがよろしゅう存じまする。」

謙信▲3七銀。ようやく棒銀作戦を明らかにする。
「ふっふっふっ。やはり謙信は棒銀か。これでズルシステムに組めるわい。」
信玄は安堵して、すっかり勝った気分になってしまった。
▲3五歩まで

以下△3二飛▲2六銀△1二香▲3五歩と進む。(右図)
ここで信玄は「あっ」と声を上げた。
「なんと!これではズルシステムが間に合わないではないか!」
確かにそのとおりであった。直江流の▲4六歩がたまたま効を奏したのだ。
信玄は動揺した。そしてあわてて、△4二角と引いた。

「はっはっはっ。信玄め、端歩を突かずに角を引いたな。それ、総攻撃じゃ!」
謙信は駒音高く▲4五歩と突いた。この仕掛けは謙信のもっとも得意とする仕掛けである。

一方の信玄は数手前の楽観が吹き飛び、狼狽していた。
「おい、幸隆。この仕掛けは本に載っておらぬではないか。わしは分からぬぞ。」
信玄はますます動揺し、しかもズルシステムに対する未練もあったため、ついつい△5三角と上がってしまった。
▲2四歩まで
謙信、すかさず▲2四歩と追撃。信玄陣は今や崩壊寸前の風前の灯火である。
「直江、結局信玄には何の対策もなかったようじゃの。取り越し苦労であったのう。」

「ははっ。さすが御館様でござりまするな。」


信玄の方は、作戦を見破られたと思い込み、すっかり自信をなくしてしまった。
「幸隆、わしは自信がないぞ。早急に、北条殿に、越後国境を脅かすようお願い致すのじゃ。」









戦国将棋 其の六

武田信玄は、同盟国相模の北条氏康に、越後国境を脅かすように頼んだ。
「将棋の形勢に自信がないのであれば、戦いを仕掛けるか、引き上げるかして、うやむやにすればいいじゃないか」とお思いになられるかと思うので、ここに一言ご説明申し上げまする。

戦国武将にしてみれば、将棋もまた戦いであった。戦いから逃げたとあっては武門の名折れであった。
将棋の形勢に自信の持てない信玄としては、謙信がやむをえず軍勢を引き上げたという形にして、将棋の勝負をうやむやにしたかったのである。

形勢は、謙信の優勢であったが、信玄も粘り強い。
「北条が動き出すまでは、時間稼ぎ致すぞ。」
難しい形勢で持ちこたえて、勝負をうやむやにすればいいという目論見なのである。
小田原城

「申し上げまする。北条勢、小田原城を発し、越後国境へ向かっておりまする。」
「なに、またしても北条か。やむをえない、越後へ引き上げるぞ。この勝負引き分けといたそう。」


謙信は、信玄の陰謀などとはつゆ知らず、
「申し訳ないが、この勝負お預けといたしとうござる。」
と丁重な挨拶をして、引き上げてしまったのである。

「やれやれ、謙信は引き上げおったか。ところでな真田、今思ったのだが、そちは△4二金と寄ると申しておったが、金を4一から動かさずに、△4二金とまっすぐ上がったほうが、一手得なのではないかな。」
「なるほど、さようにございますな。」
幸隆は心から感心した。信玄という男、応用力においてはまさに天下一品であった。
「わしはこの作戦をズルの二乗システムと呼ぶことと致すぞ。」
以後、信玄はこの作戦で負けたことはなかった。

謙信の方は、その生涯のほとんどを信濃と関東の往復に費やしてしまった。
ズルシステムにより、いっこうにさばけず、出たり、引いたりする棒銀の銀のように、愚直とも思えるほどまっすぐな生涯であった。   (完)


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